待ちにまった新海誠最新作の『天気の子』、初日上映を観てきました。
本記事は、映画を見た人向けに、私なりに気になった部分等を中心に、作品を考察していこうと思います。
もちろん、ネタバレしまくりな内容になってしまうので、記事の閲覧は個人の判断でお願いいたします。
※念のためもう一度
↓下記から本当にネタバレ記事になるため、まだ映画を見てない人はぜひ見てから閲覧していただけると嬉しいです!!
東京に降り続ける「雨」は止むのか?
いきなり大きなテーマを持ってきてしまいましたが…作中の東京は3年間雨が降り続け、ほとんどの土地が浸水してしまっています。はたして、その後も雨が降り続けるのか、またはいつか止む時がくるのでしょうか?
そもそもなぜ雨が降り続けていたのか
作中では「異常気象」扱いで、特別にその理由については触れられていませんでした。それもそうですよね。人間の力では天災のコントロールはできませんし、長いスパンでそれを予測することもできません。
さて、降り続ける雨は「異常気象」の一環と捉えるとしても、まさか3年も降り続けるとは思えませんよね。これは本当に天の気まぐれで降らせた雨だったのか、それとも他の何かが原因で起きたのか…そこにひっかかりを覚えました。
「天気の巫女」の力を使いすぎたのが事の発端?
陽菜の持つ「天気を晴れにする力」を乱用した為、その代償で天候が乱れ、雨が降り続ける事態に繋がった…と簡単には考えられるのですが、これにはいくつかの矛盾点があります。
- 晴れにしたのは局地的に過ぎず、都内全域を晴れにしたわけではない
- 晴れにした後、他所でしわ寄せとしてスコールが降るような描写があった。
- 巫女の力が発端になるとしたら、人柱になり天災から人々を守ってきた巫女の存在意義が薄れる。
等々…陽菜が原因で起きた現象とは考えにくいのかもしれません。やはり、誰も予測することができない、未曾有の大災害として捉えるのがベターなのでしょうか…
結論、雨が止むか止まないのかは誰もわからない!(雑
(※あらゆる面で考察が可能だと思うので、考えについてコメントいただけると筆者が飛んで喜びます。笑)
『君の名は。』世界との時系列
作中に瀧・三葉を始め『君の名は。』に登場するキャラクター達が出演してましたね。瀧と三葉は大人になっていて、天気の子の世界はおそらく、瀧と三葉が東京で出会った後、またはその前の物語だと考えられます。
瀧と三葉が出会った頃の東京は普通の世界
「普通の世界」と言うと語弊があるかもしれませんが、電車も普通に走っていて(浸水した東京でも一部で走ってはいる)街並みもせわしない東京。もし仮に浸水してしまった東京での再開だとしたら、さすがに描写がないのは無理があると思います。
そこを抑えた上で時系列を考えると、
・瀧と三葉が東京で出会う
↓
・帆高家出
↓
・東京で帆高と陽菜が出会う
と考えるのが普通ですね。となると、三葉は彗星で故郷を破壊され、移り住んだ東京は雨で浸水被害にあったということになりますね。人生ハードモード過ぎませんか?笑
高校生の四葉
瀧と三葉が再開した当時で四葉は高校生でしたが、天気の子で登場した四葉も高校生のままでした。つまり、
瀧と三葉が出会う⇒帆高と陽菜が出会う
これを考慮すると、『君の名は。』のラストから見て2~3年内の話の可能性が高いです。(四葉が留年してなければですが笑)
ーー
※時系列や世界線のリンクについてはあくまで予想の範囲に過ぎないので、あくまで考察程度に捉えていただけると幸いです。
なぜ「雪」が降ったのか
さてさて、話を天災に戻して、記録的豪雨の最中に突然降った「雪」。これにはとてもびっくりしました。心なしかシアターの冷房の温度も急激に下がったかのように冷えた記憶があります笑
天気の神様の怒り説
「天気の神様」というふわりとしたワードを用いますが、作中で言う所の「龍神様(天気の巫女が見た景色に出てくる龍)」のような存在が、自由に天候をいじった罰として雪を降らせた…と考えるのは古来からの人間の風習ではあると思うのですが、そう考えざるを得ないというのがしっくりきます。だって誰も正解を出せないんですもの…
陽菜の感情が空とリンクした説
冷え切った陽菜の感情が空とリンクし、雨が雪になった…もしそう考えるとしたら、雨が多くなった東京は母が死んでしまった陽菜の悲しみとリンクしていたというのもしっくりはきますが、はたしてそこまで巫女に影響力があるのか…ここに関しては答えが出なさそうですね。
陽菜の天気を操る力が弱まった説
力を使いすぎた為、雨で抑えていた物が雪に変わった…?もしそうだとしたら、実際に降るのは雪だったということになるので、考察としては弱いですかね…雪が降るほどの異常気象ってどんだけだよっていう笑(もちろん雨が3年降り続けるくらいですからそれも否定できませんが)
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有力はやっぱり神が怒ってるが妥当でしょうか…しかし、私は雪が好きなので、見ているときはテンションが上がってたりもしました笑。あのまま雪が降り続けてたら東京はどうなっちゃってたんでしょうねぇ…想像を絶する恐怖です。
圭介はなぜ鳥居の廃墟ビルにいたのか
これ、私がちゃんと見てないから実は答えが作中にあったかもしれませんが、、
穂高が陽菜を助けに行く時、廃墟ビルに圭介がいましたよね。
「探したぜ…帆高」と言っていましたが、仮に探したとして、なぜ帆高が来るまでそこで待ち構えているのでしょうか?この点から、帆高が確実にビルに来ることを「知っていて待っている」のが確定します。
夏美に聞いた
もしそうだとしたら一発で疑問解決です笑。でも、もしそうだとしたらわざわざ「探したぞ」なんて言うでしょうか?「夏美に電話もらうまで探し回ったぞ」とかなら分かるのですが、夏美は廃墟ビルの場所を知らないのでは?という疑問も残ります。(描写がないだけで帆高が伝えていた可能性もありますが)
刑事に聞いた
この説も否定はできませんが、刑事がなぜビルの事を知っているのかも不明瞭ですし、先に圭介が到着しているのも謎です。笑
鳥居の場所に引き寄せられた
ここからは私の妄想というか、願望になってしまうのですが、、圭介は鳥居の場所に引き寄せられ、その場所に何かを感じ、帆高が来るのを待っていたのではないでしょうか。「天気の巫女と鳥居」の関係性を知っていた可能性もありますが、帆高が鳥居をさして陽菜が空にいるといった描写では「空になんているわけねぇだろ」と一蹴しています。
帆高や陽菜が圭介に鳥居の話をした描写はないですが、もしかしたら話を聞いていて、思いつく限りの場所を手当たり次第に探し回っていた可能性も否定はできませんが、やはり圭介は帆高がビルに来るのを確信できるなにかを知っていたのだと思います。
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事故でなくなった奥さんの事も気になりますし、この点に関しては、また映画館に通って考えてみたいところです。(深く考えすぎですかね?笑)
圭介はなぜ窓を開けたのか
陽菜が人柱になって東京に夏が戻り、圭介が窓を開けて水が入り込んでくるシーンがありましたが、あれなんで開けたんでしょうね?笑。
晴れが心から嬉しかった
圭介の一人娘の萌花は喘息持ちで、今は離れて暮らしていて「雨の日以外」はなかなか合わせてくれないという描写がありましたよね。ここに関してはシンプルに晴れたのが嬉しくて早く外の空気を吸いたかったのではないかと思います。こういう細かい描写いいですよね…
作中を通して圭介の死んだ妻や娘に対する想い想いが伝わる描写(指輪を触るシーン、雨が止んで欲しいと思うシーン)が多く見られましたが、帆高が子供の主人公で、圭介が大人の主人公として描かれていたような気がしますね。。ビルで警察を殴ったシーンは涙腺が緩みました(泣
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見るたびに新しい発見がある「天気の子」
実は初日で3回連続で鑑賞してきました笑。1回見るのと2回見るのとでは、捉えられる情報量も変わってきて、「あ!ここってこういう事だったんだ!」という感じで全然違う映画に様変わりするので、ぜひリピートして鑑賞されることをおススメします。
私は3回でも足りないので、日を開けてまた足を運びたいと思っています。
冴えない天気が続きますが、しばし、『天気の子』を通してみんなで盛り上がっていきたいですね!ここまで読んでいただきありがとうございました!