ーー「僕たちはきっと、大丈夫だ」
帆高が陽菜にこう告げる、映画『天気の子』のラストシーンは賛否両論あると思います。
「え、これで終わるの?」
「この後二人はどうなっちゃうの?」
「なんか雑な終わり方だなぁ」
そう思った人もけして少なくないのではないでしょうか。私も、初回の放送を見たとき、「大丈夫って、なにが大丈夫なんだ…本当に大丈夫なのか?(沈む東京を見ながら)」などと考え、この作品はハッピーだったのか、バッドだったのか、モヤモヤとした感情を覚えました。
(同時に、「いつもの新海が戻ってきた!」と喜んだ節もあったのですが笑)
しかし、劇場に足を運ぶ回数が増えるたびに、私なりにラストシーンの捉え方、解釈の仕方が見えてきました。それは良い意味でも、悪い意味でも、『天気の子』という作品のメッセージ性。劇場に足を運んだ人に伝えたかったものが見えてきた気がしたのです。
今回は『天気の子』のラストシーン、帆高が陽菜に言った「僕たちはきっと、大丈夫だ」という言葉について深堀し、私なりに『天気の子』はハッピーエンドだったか、バッドエンドだったかの考えを書いてみようと思います。
「大丈夫」という言葉をどう捉えているか
私個人の解釈ですが、「大丈夫」という言葉は汎用性が高すぎて、正直「大丈夫だよ」なんて言われても環境・状況によっては「いやいや大丈夫じゃないし、簡単に言わないでよ」なんて返されることもしばしばありませんか?
偏見かもしれませんが、言葉本来の意味よりももっと軽く日常会話に用いられている言葉の一つだと考えています。私はそこに違和感を覚えたんだと思います。「大丈夫って…最後のシーンでこの言葉は軽すぎない?」と。
1回目の感想はこうでした。沈んでる東京を背景に「いやいや大丈夫じゃないだろw」と正直思ってました。
ーーでも、2回目の視聴以降で、ラストシーンに対する見解が変わっていきます。
大丈夫と声をかけられた陽菜の表情
私は大きな勘違いをしていることに気づきました。帆高が「大丈夫」と声をかけたのは誰でしょうか?私?一緒に見ている観客?違いますよね…陽菜にかけた言葉なんですよね…。
そして、その言葉を受け取った陽菜の表情は笑顔でした。
私は本当にアホです…そもそも沈んでしまった東京自体は「既に大丈夫じゃない」んですよ。では、穂高は何に対して「大丈夫」と言ったのでしょうか。
劇中歌に「大丈夫」の答えはあった
ラストシーンではRADWIMPSの「大丈夫 (Movie Edit)」が流れます。映像作品は文字だけの小説と違い、映像・音・声・その他あらゆる要素が重なってエンターテインメントとして成り立っています。
世界が君の小さな肩に 乗っているのが
僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから
「大丈夫だよ」って 僕は慌てて言うけどなんでそんなことを 言うんだよ
崩れそうなのは 君なのに大丈夫 (Movie edit) /RADWIMPSより
>泣き出しそうでいると
実際は帆高は涙を零してしまいます。それを見た陽菜が不思議そうに「大丈夫?」と声を掛けますが、帆高的にはなんで陽菜さんがそんなこと言うんだよ…君の方が辛いはずなのに…という気持ちでいたことでしょう。
世界中の人々は降り続けた雨の原因は「天災」だったとしか思わない。でも、真実を知っているのは世界中で帆高と陽菜の二人だけですから、陽菜を支えてあげられるのは帆高だけということになります。
取るに足らない 小さな僕の 有り余る今の 大きな夢は
君の「大丈夫」になりたい 「大丈夫」になりたい
君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての 「大丈夫」になりたい大丈夫 (Movie edit) /RADWIMPSより
>君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての 「大丈夫」になりたい
ここの歌詞にたどり着いたとき、私は救われた気持ちになりました。
ずっと心にモヤがかかっていたんです。水に沈んだ東京のその後、帆高や陽菜のその後、大丈夫って言葉で片付けられるほど簡単な問題ではないじゃないですか。
でも、歌詞に込められた意味、「君を大丈夫にしたい」のではなく、「君にとっての大丈夫」になりたいーー
帆高も陽菜も、誰も望んでなかった世界、期せずして与えられた運命、いや「宿命」に翻弄されてしまう二人。ラストのシーンに用意されたのはこの二人の、『天気の子』という作品のテーマを歌った曲だったんですね。
あまりにも素敵すぎませんか。
『天気の子』という作品は、あなたにとってどうでしたか?
雨、桜、水に沈んだ東京ーー
前項の「救われた気持ちになりました」の意に戻るのですが、私はこの解釈にたどり着き、「この二人ならこれからも大丈夫だ」という安心を得ることができて救われたのだと思います。
一人一人が自分の世界を持ち、その世界の中で懸命に生きている。
自分自信を運ぶのは自分の意志でしか行えないが、その過程を近くで見てくれている、知ってくれている、支えてくれている存在というのがどれほど大きなことなのか。『天気の子』という作品が改めて教えてくれました。
結論、『二人のハッピーエンド』を見てパワーをもらえたので、私にとっても『天気の子』は最高のハッピーエンドです。
帆高、陽菜、いつまでもお幸せに。